豊臣秀吉朱印状(天正13年〜17年)菊月(9月)5日 豊臣秀吉から堀秀政に送られた礼状 協力:泰巖美術館
堀秀政は織田信長の小姓をつとめた側近で本能寺の変の際に秀吉への使いとして中国地方に赴き、そのまま秀吉に属した武将です。有名な清須会議の後は近江佐和山城主、越前北ノ庄城主となりました。
史料中の初雁の雁とはマガンをはじめとするカリガネ、ヒシクイなどの大型で首が長く雌雄同色の種類の総称です。歳時記では雁は晩秋(新暦では11月〜12月初旬)の季語にあたるので、この朱印状が送られた旧暦9月5日(新暦10月21日)前に送り届けられたとすると、初物でもずいぶんと早い時期に届けられました。
また鮭も贈られましたが、現代のように冷凍車などない時代なので、内臓は全て処理を施し、干したりや塩漬けするのが当時一般的だったなかで「腸持之鮭」と書いているので、腸を取り除く必要のないほどの新鮮な鮭が届けられたようです。
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宮司の徒然 其の137町田天満宮 宮司 池田泉12月21日 |
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