町田天満宮 宮司 池田泉 宮司の徒然 其の73
三叉と八又
春を告げる花のひとつ「三叉」がふっくらと咲いた。文字通り枝が3本に分岐するから又も3か所で三叉と呼ばれる。2つに分かれる間を又と呼び、我々の又もそれと同じだし指にも又はある。ただし5本指は並列だから又は4つ。三叉のように放射状に分かれていれば3本に3つの又となる。では神話の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)はどうだろう。かつて東宝のゴジラシリーズに宇宙からの敵として現れたキングギドラがこれをややこしくした。キングギドラは首が3本だが横並びだから又は2つ。八岐大蛇は首が8本だから実は又は7つか?と思いきや、なんと八岐大蛇は首が束ねたように8本あるから放射状に並んでいるため又も8つだった。古事記では姉の天照大御神に悪さをしたやんちゃで乱暴な素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、追放された道すがら小川の上流から流れてきた箸を見つけ、民家があると知って立ち寄ることにした。すると奇稲田姫(くしなだひめ)を間にして老夫婦が泣いていた。聞くと8人いた娘が毎年山から下りてくる八岐大蛇に食べられてしまい、とうとう奇稲田姫だけになり、また山から下りてくる時期になったという。素戔嗚尊は奇稲田姫と結婚することを条件に、八岐大蛇を退治すると約束した。8個の大きなかめに酒を造らせて置いておくと、山から降りてきた八岐大蛇は各々かめに首を突っ込んで酒を飲み、酔って眠ってしまった。素戔嗚は次々に切り刻んで退治した。最後に尾を切ったときに草薙剣(くさなぎのつるぎ)が出てきたので、その宝剣を天照大御神に献上して追放を許してもらった。というのがざっくりとした話だ。後々研究者により、八岐大蛇の正体はモンゴル方面か来た鉄器を鋳造できる屈強な騎馬民族で、日本に定住して子孫を作るために娘たちをさらったという説もあるが、さらったのではなく大陸の技術を提供して定住を認められ、日本に溶け込んでいったと見るのが自然ではないだろうか。6〜7世紀頃に勢力を広めた秦(はた)氏も、中国の秦(しん)から来たのではなく、高い技術力と経済力を持ったユダヤ人の移民だと考えられている。日本民族はその頃から様々な移民が流入しては受け入れ、現在の優れた日本人の遺伝子を作り上げてきたのだろう。
くしくも素戔嗚尊は京都八坂神社(祇園社)に祀られ、災厄をもたらすオロチを退治したからであろうか、疫病除けの神様として名高く、全国で行なわれる茅の輪くぐりも八坂神社が疫病除けとして行なってきた神事だ。当社旧社殿にも素戔嗚尊をお祀りしている。祀られた経緯などの記録は残っていないが、おそらくセキリやチフスなどが流行した時代に祀られたのではないだろうか。
三叉は「三枝」や「幸枝」とも呼ばれてめでたい木として親しまれ、苗字の三枝(さえぐさ)にもなっている。1月頃から羽毛に包まれたような蕾を膨らませ、まだ寒さ厳しい2月の今頃に開く。実は我々の生活に密着してきた木で、樹皮はコウゾと並んで紙の原料となり、特に紙幣として利用されている。このように三叉は鑑賞しても利用しても優れた樹木だが、三叉からできたお札で人は幸せも不幸も、欲望や争いも生んでいることは残念だ。国内では贈賄、収賄、密約、忖度、高額接待。世界ではコロナワクチンのやりとりで暗躍する国々。みんな四方八方へ首を伸ばして美酒を飲もうとしてる。
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宮司の徒然 其の137町田天満宮 宮司 池田泉12月21日 |
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