徒然想 連載312 花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
今月は、おおよそ因果の道理、暦然(れきねん)としてわたくしなし。造悪のものは堕し、修善のものはのぼる、毫釐(ごうり)もたがわざるなり、です。
出典は鎌倉代、道元『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』です。
意は、一般的に因果の道理は、明らかな事実。悪行をしたものは地獄に堕ち、善行を行ったものは天に昇る。このことは少しも疑うところがない、ということです。
私達が行った善悪の行為を因として、必ずその結果が現れるというものです。善行をすればよい善い結果が、悪行をすれば悪い結果になるということですが、善いことをしていても苦しい生活を送ることもあります。反対に悪いことをしていても、なんらその報いを受けない者が現実にはいるのも事実です。その為に「撥無(はつむ)因果」という因果の道理を否定する思想も現れますが、師はこれを否定します。
仏教では、因果の道理の報いを現世で受ける「順現法受(じゅんげんほうじゅ」次の世で受ける「順次生受(じゅんじしょうじゅ)」更にその次の世に受ける「順後次受(じゅんごじじゅ)」と、説きます。このように、決して自分勝手に生きることができるものではない、と師は教えているのです。
桃蹊庵主 合掌