松田山の最明寺史跡公園で10日、松田町庶子自治会(吉田光男会長)による例祭施餓鬼会(せがきえ)があり、松田町や大井町の関係者らおよそ50人が参列した。
言い伝えなどよると、最明寺は、源頼朝の信頼が厚かった伊豆山の浄蓮上人源延が鎌倉時代の1221(承久3)年に「西明寺」として建立したのが始まり。鎌倉幕府5代執権の北条時頼が信奉して繁栄したが室町後期の動乱で衰退。1469(文明元)年に松田山から現在の大井町金子に移され「最明寺」となった。
寺が移転しても庶子では信仰が続き、毎年4月10日に守護仏の善光寺如来像を前に施餓鬼会(せがきえ)を営んできた。法要が終わると厨子に安置された本尊を持ち帰り、家々を一泊ずつ回わして供養する習慣も残る。現在は本尊を模した3分の1ほどの如来像に姿を変えたものの、今もなお受け継がれている。
全盛期は200件以上を回ったが、習慣や信仰の薄れから近年は100件程度の巡回に減った。
百花繚乱
寺の移転後は茅場だった公園の周辺では、1950(昭和25)年ごろから農業青年連盟の若者らが桜を植え始めた。国策で推奨されたスギやヒノキの植林も盛んになり茅場としての風景が次第に変化していった。
1983(昭和58)年のゴルフ場開発でこの場所に排水池ができると、町が史跡公園として整備。護摩堂跡や碑文などが最明寺の名残を伝えている。
戦後、山に桜を植えた松田庶子の内藤由雄さん(84)は「当時は数えるほどしか桜の木はなく人もまばらだった。ソメイヨシノのつもりで秦野から買った桜が咲いてみたらオオシマザクラで、驚いたことを覚えている」と話してくれた。
毎年4月10日前後に百花繚乱の見ごろを迎える公園はネットで広く知られるようになり、近年は観光客が急増している。
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