アミガサ事件 100年を機に記念碑建立へ 後世に歴史伝える
1914年当時、大勢で行動することが許されていなかった時代に治水工事を求めて500人を超える村民が、決死の思いで県庁への直訴を行った「アミガサ事件」から100年を迎える来年。この出来事を後世に伝えるべく、地域住民らが記念碑建立を計画している。
アミガサ事件とは、度重なる多摩川の氾濫に苦しんでいた当時の御幸村(中原区・幸区)、日吉村(中原区)、住吉・町田村(中原区・幸区・鶴見区)の多摩川流域の住民500人以上が集まり、直訴するため県庁に赴いた歴史的事件。この時、互いの目印になるよう、全員がアミガサをかぶったため『アミガサ事件』と呼ばれるようになったという。
この事件は、13の新聞に掲載されるなど全国的なニュースとなった。これに参加した上平間の鈴木秋平さんと鹿島田の小島銀蔵さんによる「警備の警官らと押し合いになり必死の思いだった」という証言が残っている。
多摩川の氾濫に悩まされ、治水工事の早期実現を求めた住民らの訴えを県は棄却。その対応に憤慨した住民らは、組織をより強固にするために多摩川築堤期成同盟を結成し、運動はさらに町ぐるみ、地域ぐるみで11町村に拡大していった。
その後、新たな県知事が就任以降、村民らの訴えは受け入れられ、郡道をかさ上げした代用堤、『有吉堤』が実現。後の内務省直轄改修事業へと導いた。
現在、多摩川を中心とした地域史研究家である長島保さんは、「この時代に住民たちが発起し、県に意見したということはとても意義があるもの」と、この事件を語る。
アミガサ事件から来年で100年を迎える。この出来事を後世に語り継ごうと、実行者の子孫である織戸美紀世さんをはじめとした地域住民や、長島さんや中原区文化協会会長の藤嶋とみ子さんなど現在16人のメンバーが中心となり、このほど『アミガサ事件100年の会』が発足した。同会では、事件にゆかりのある地域で、記念碑の建立や、地域の歴史ある土地などと合わせて歴史散歩道を作る計画があり、また、子ども達にむけて地域の小学校でアミガサ事件勉強会なども予定している。織戸さんは、この活動にあたって「単に記念碑を建てることだけが目的ではない。自分たちが今住んでいる町が、先人たちの勇気と困難により守られたという歴史を地域住民に知ってもらい、後世に語り継ぐために活動していきたい」と話している。
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5月3日
4月26日