「お寺にはあったかい気持ちが集まってくる。やらなきゃという使命感と喜びを感じる」。檀家らからの寄付金と寺の資金で、東日本大震災の支援活動を続けてきた。毎年3〜4回、宮城県石巻市の仮設住宅、開成団地や女川などを訪れ、住民と交流する。通うきっかけになったのは一人の住民との再訪の約束だった。
震災直後の3月14日、買占め等の影響で薄くなった商品から辛うじて購入できたあんこと白玉等を2tトラックに積み、被災地に向かった。滞在中、多くの人が避難する石巻市の高校へ。避難所の指定場所でなかったため、火の使用は禁止。お汁粉の炊き出しのため許可を求めに行くと、「私はカーテンを閉めて外を見ない。だから皆にあったかい物を食べさせて」。泣きながら校長が言った。
500人分のお汁粉を求め、3倍近い人が集まった。「もっと食べたい」と言う子に、自分の分を渡す女性がいた。津波で息子夫婦と孫を失い、一人で座っていた。その子に孫を重ねてか、「何で私が生き残ったのか。代われるものなら…」。泣きながら語る女性に言ったのが、「また来るね」の言葉。「絶対また美味しいものを食べてもらいに行こうと思った。おばあちゃんとは今もやり取りしている」
昨年3月には、母校・桜美林高校=町田市=のハンドベル部約20人と開成団地を訪問。屈託のない女子高生たちとの交流は、高齢者住民に「やぁ、町田に孫が出来た」と喜ばれた。その後も同地を訪れるたび、「うちの孫らどうしてる?」と聞かれる。メールで連絡を取っている生徒もいるなど、関係は継続。今年3月末は同校生徒と石巻市の渡波の仮設住宅も訪れた。
多くのボランティアが訪ねた震災当時から4年が経ち、復興したかのように思われがちだが、孤立感を持つ人もいると感じる。「行けなくても『忘れていない』という気持ちをどう伝えるか。震災5年目からは、寄り添う人が求められている」
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