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青葉区版 公開:2015年10月22日 エリアトップへ

「我慢・助け合い」大切に 【9】梅が丘・毛呂(もろ)清志さん

社会

公開:2015年10月22日

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「若い方々にも、辛抱や連帯の精神をぜひ持ってもらいたい」と毛呂さん=9月、自宅にて
「若い方々にも、辛抱や連帯の精神をぜひ持ってもらいたい」と毛呂さん=9月、自宅にて

 国民学校3年(小3)のとき、4兄弟(のちに5兄弟)の三男だった毛呂清志さん(79)は、山々と若狭湾に囲まれた、京都府の西舞鶴で終戦を迎えた。

 その動きを耳にしたのは、8月14日の夜10時過ぎ。父親が「全員集まれ」と言い、両親と兄弟の家族6人が畳に座った。「日本が戦争に負けた。みんな怖がることはない。明日の昼、天皇陛下がラジオで放送する」。西舞鶴警察署の署長だった父親が、おそらく府警本部からの連絡を受けて知ったのだろう。その言葉は重たかった。「恐ろしいというより、これからどうなるんだろうという不安の方がはるかに大きかった」

 終戦2日目。父親と警察署にいたら、突然玄関前に米軍の十輪車とライフルを装備したジープが到着した。父親が銃殺されるのではと思い、慌てて家に逃げ帰ったが、司令官があいさつの品を届けにきただけだった。大きなブリキ缶10箱に肉や大豆、ビスケットなどがぎっしり。初めて食べたコンビーフは、忘れられない味になった。

 1、2カ月ほど後、舞鶴の軍港で大事故が発生した。近くの要塞の弾薬を処理しようと、海に出ていた運搬船が大爆発。その瞬間、爆風で学校の窓ガラスが割れるほどだった。戦時中、米軍が機雷を大量に投下していた場所でもあり、弾薬箱の処理ミスがあったようだ。周りの漁船も巻き込まれたため、その後1年くらいは港のあちこちに遺体の一部がたびたび流れ着き、その光景が脳裏に残った。

 国産航空機の振動測定機器に携わる技術職に就き、青葉区梅が丘に移り住んで40年余り。現在は谷本連合自治会の会長を務める。「私たちの世代は苦労と我慢、助け合いの連続。皆が当たり前だった。これからの時代もそういう気持ちを大切にしてほしい」。次世代に向け、メッセージを送った。

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