小杉陣屋町二丁目遺跡で9月2日、調査成果について現地見学会が行われた。約60人が参加し、調査を担当する教育委員会の学芸員新井悟さんの解説に耳を傾け、人々が往来する近世の中原街道に思いを馳せた。
この発掘調査は、川崎市が進める中原街道整備事業に先立ち、今年7月27日から行われていた。遺跡からは、現在の中原街道にほぼ並行する1本の溝跡が検出された。新井さんによると、これは道路の側溝だったものと考えられるという。さらにこの側溝から中国の渡来銭が出土したため、この溝が埋まった年代を特定。日本独自の貨幣である「寛永通宝」が流通する以前の、中世末から江戸初期である可能性が高いという。近世初期に中原街道沿いに道が存在したことがわかったのは大きな成果だとしている。
見学会に参加した羽田猛さん(82)は「古代の街道についてはいろいろな議論があってよいと思う。今回、街道から南側の調査が進んで良かった」と話していた。
新井さんは「中原街道は川崎市の歴史を紐解く上でも重要な役割を持つ。今回の成果が古代の街道の手がかりになれば」と話した。