1960年代 「どうしたら楽しく 遊べるか、考えていた」
「小学生の頃はおもちゃが無かったから、缶蹴りやゴム跳び、ろう石で地面に絵を書いて遊んだり。どうしたら楽しく遊べるか、子どもながらに考えていたね」という三日市さん。等々力緑地にあった蓮池では、危険を承知で親に隠れて兄妹で蓮の実を食べたり遊んだことも。
今の小杉小学校辺りに日医大のグラウンドがあり、シーソーや雲梯などの遊具があったという。「夏休みには青空映画会が開かれて楽しかった。映画といえば当時新丸子には映画館が2カ所あったんですよ」。多摩川の花火大会=下記参照=は、丸子橋近くで打ち上げられ「陣屋町の自宅からよく見えた」。遠出した思い出は川崎駅。「さいか屋、小美屋という百貨店があって。ハヤシライスやオムライスが美味しかった」