新年には欠かせない「餅」。川崎市公文書館が所蔵する昭和4年(1929)の公文書「取締関係書類(度量衡器・計量取締関係)」に、昭和初期の餅事情が垣間見える記録がある。
「賃餅ノ重量制定ニ関スル件」と題された11月26日の記録によると、当時、店に頼んで自家用の餅をついてもらう「賃餅」が盛んだったという。その際、餅の重量や値段が店によって違うことを、当時の市勧業課度量衡係が問題視。横浜市の規定を参考にしながら、川崎菓子商組合、川崎菓子製造組合、川崎米商組合総合会と協議の上、値段を統一した。
続く12月9日の記録「賃餅ノ重量及値段制定ノ件」によると、糯米の質によって価格が異なる。最も質の良い「糯米一等」は、500匁あたり44銭で、搗賃(作業代)が15銭。畑で採れる「陸稲餅」は、500匁あたり37銭で、搗賃は同じく15銭と記録されている。同館の担当者によると、所蔵する公文書で餅に関する記録はこの年だけ。「昭和4年に定めたものをしばらく運用していたのでは」と話す。
同館では明治40年代からの公文書を所蔵。問合せは【電話】044・733・3933(5日から)。