ハイパーレスキュー隊統括隊長として福島第1原子力発電所の放水活動を行った 高山 幸夫さん 町田消防署警防課長 54歳
最後の任務「死を覚悟した」
○…「本当に怖くて仕方なかった」。放射能という目に見えない未知なる敵との戦いから2カ月以上経ち、冷静に振り返る。「本音を言うと隊員を連れて一緒に行くのだけは避けたかったが、指令が出た以上、腹を括った」。消防士は命をかける仕事と念頭に置いていたが、今回は死を覚悟せざるを得なかった。行きの車中は誰一人として口を開かず、戦場に向かう兵士のようだったという。「隊員全員無事だったのは最高の結果オーライ」。
○…高校卒業と同時に就職。「当時はただ体を動かす仕事がしたかった」というが、研修中にレスキューの訓練を見学し「絶対に人助けをしたい」と決意。1996年、ハイパーレスキューの発足隊員試験で50倍以上の中から選ばれた。「倍率の問題でなく、1番になりたかった」。今もなお仕事が好きで仕方なく、愚痴を溢さないのがポリシー。
○…記者会見を終え夜中3時に帰宅したとき、妻の啓子さんが笑顔で「おかえり」と迎えてくれた。そしてテーブルを見ると次女の智恵美さんから一通の手紙が。「涙が止まらなかった」と照れながら話す。生きて家に帰れた実感が湧いた。職場から妻に送った”心配するな、留守を頼む”のメールは「愛してるよりも特別な言葉」とにっこり。
○…派遣命令が出る数日前に4月付けで町田消防署への異動内示が出ていた為、3月でハイパーの服を脱ぐのは認知していた。だからこそ、統括隊長として最後の任務を部下と共に全うする、と心に決め、出動を志願したという。”救世主”とメディアで報じられたが「私よりも、家族を失い、家を流されながら被災地で救助活動をしている現地の消防隊員の方々に感謝の言葉を送ってほしい」と話す。『3・11』は結婚記念日、「そういう意味でも偶然私が行っただけ。とにかく隊員や家族たちに感謝している」。これまでの経験を今度は「熱い気持ちを持って町田に精一杯還元する」。
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