1954年製造の「吉田町内神輿」。担ぎ棒を含んだ総重量300kgは神輿としては小柄、屋根の”吹返し巴”という部分など随所に刻印された「吉田」の2文字が地域住民の誇りだ。
年間で唯一の出陣は東峯八幡宮(吉田町)で9月に執り行われる例大祭。出番が終わると、祭と聞けば血が騒ぐ雄々しい担ぎ手たちにやさしく手入れされ、半世紀以上にわたり地域に受け継がれてきた。それでも最近は金メッキのはがれなど傷みが目立つように。
そこで一昨年、神輿を所有する吉田町内会で役員を務めていた坂間庄二さん(現会長)が修復を提案。近年は転入者の増加などで地域と疎遠な人が増えたこともあって神輿の担ぎ手は減少の一途をたどり、修復には高額な費用もかかる。それでも、「良いものは残そう」と役員は一致団結。修復費は町内会の有志による寄付金で工面し、約60年ぶりの修復が始まった。
戦後まもない頃、坂間さんの父で、当時の町内会長だった故・省吾さんが音頭をとって始まった神輿づくり。浅草にある製造元との価格やデザイン交渉の手段は手紙。今も坂間家に残る往復書簡からは、「わが町内に神輿を」と期待を胸に尽力した先代たちの熱い思いが伝わってくる。
約1年の歳月を経て、新品同様に生まれ変わった神輿。昨年果たせなかった地域へのお披露目も、戸塚駅東口ラピス商店会の北島洋一会長や戸塚モディの協力で実現。9月7日に同店頭に飾られ、多くの買い物客が見入っていた。
坂間庄二さんは、「1つの神輿に皆の肩をいれ、声を出して練り歩くのは日本人の心。町内の財産を後世に末永く引き継いでいくためにも、我々がその魅力を伝えていきたい」。
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