その昔、暴れ川だった平瀬川と中原に用水を引いていた中原堰。今はないこれら水路の研究をまとめた冊子「平瀬川の研究―中原堰百周年記念誌」が市民研究会により完成した。A4版270頁の同書は100部発行され、高津図書館や中原図書館などに寄贈された。
旧平瀬川と中原堰の研究は2005年に旧平瀬川・中原堰研究会(現在28人が所属)が発足してから07年の自費発掘など精力的に行われてきたが、中心的な研究者だった平井岩男さんが6年ほど前に亡くなってからは活動が下火になっていた。しかし15年に堰が建設されて100年になるのを前に、それまでの研究をまとめようと研究会のメンバーが再結集。慣れない作業のため1年での完成を目指した編集は3年かかったが、50回に上る打ち合わせの結果、内容は古文書の文章を含むなど高度なものになった。編集に関わった中原区在住の井上弘明さん(71)は「平瀬川を調べた論文はいくつもあるが、それぞれのストーリーにつながりがなく、まとめるのが大変だった」と話す。
中原堰とは中原地区にある水田へ旧平瀬川から水を引くために江戸時代に建設されたもので、1915年にはコンクリートで補強されるなど農耕には重要な拠点だった。しかし戦後に都市開発が行われる中で、堰は平瀬川とともに地中に埋められた。
だが研究メンバーの一人である朝山博史さん(68)は水路を「溝口の歴史をたどれる貴重な史料」と語る。平瀬川が流れていた総合高津中央病院前にできた駐輪場には今も川の形が見られるなど、川や堰があった場所には名残が見られ、街がなぜ今の形になったのかがひもとける。「冊子から昔の川の形を知ることで、まちづくりの参考にもしてもらえれば」と期待を込める。
現在は大部分が地中に眠る堰と川について井上さんは「開発でなくなるのは寂しい」と話す。しかし堰から分かれた用水路は十分に発掘されていないという。「掘り起こすべき史料はまだたくさんある。今後も研究を続けていく」と同研究会は意気込んでいる。
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