旧緑区(現・青葉区)で起きた米軍機墜落事故を語り継ぐ活動を行う 斎藤 淑子さん 長津田在住 82歳
「生涯、語り継いでいく」
○…県議として、本会議の議場にいた1977年9月27日午後。議会事務局員に一枚のメモ用紙を手渡された。そこには「緑区に米軍ジェット機が墜落」と記されていた。その後、被害者やその家族にも面会。事故現場は「戦場のようだった」と振り返る。「風化させてはいけない」と講演活動などを行ってきた。また、墜落の全貌を書き記した「ウワーッ!飛行機が落ちてくる」を出版。「語り続けなくてはいけない」。その思いは事故から44年経った今も変わらずにいる。
○…山形県出身。小学生の時、自分が書いた絵を教諭が褒めてくれた。一人ひとりの児童に優しく接しながら、成長を促せる教諭を志した。大学卒業後、山形県の小学校に1年勤め、都筑区の小学校で12年間教鞭をとった。「憧れた先生のようになりたくて、一生懸命頑張ったね」と笑った。
○…高度経済成長の中、非行やいじめが社会問題化。「子どもたちを救うため、社会を変える政治家になろう」と決意。「教え子や保護者らが作ってくれた千羽鶴を選挙カーに付けてね。多くの人の期待に応えたくて」と懐かしむ。75年に県会へ出馬、当選を果たす。様々な人の声を形にするために奔走する日々を送ったという。事故を語り継ぐことは「仕事ではなく、私の生涯の活動となった。それくらい大きな出来事だった」。
○…趣味は、長年続ける茶道。今では、弟子も3人おり、教える立場としても活躍する。健康のために20年以上、太極拳も行っているという。また、散歩がてら四季の森公園や恩田川沿いなど、自然豊かな区内を歩くことを心掛けているそう。コロナ収束後には「地元の山形県、蔵王でスキーがしたい」と年齢を感じさせない若々しさを見せていた。
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