緑区三曲協会の会長に就任した 保坂 千惠子さん 西八朔町在住 67歳
日本情緒の音色、広める
○…日本人が古くから親しんできた箏や三味線などの音楽「三曲」を広める団体のかじ取り役を任された。入会から20年が経ち、時代の移り変わりによる「伝統離れ」や演奏人口の減少に危機感を抱くようになった。「前会長が力を注いできた地域への普及講座、教育現場への出前授業などは今後も積極的に取り組みたい。楽器や音に触れる体験をひとりでも多くの人に提供できたら」と意気込む。
○…箏との出会いは高校生の時。友人の付き添いで見学にいった部活でその音色に惹かれた。父の転勤で奈良に移住したばかりの時分。東京で育った少女にとって、目に見える全てに歴史の積み重ねを感じさせる奈良の街は感動の宝庫だった。「当たり前のように箏の音が響いていて。人々の生活に、古来の音楽がしっかりと結びついていた」と懐かしむ。しかし時代は高度経済成長期へ。街で古い神社が取り壊され、コンクリートの家が増えるたび、若い心は怒りにも似た悲しみに震えた。「今思えばあの時の思いが、古来の音楽に関わる原点となったのかも」
○…学校卒業後は、当時まだ少なかった「女性コピーライター」として広告・出版・放送業界で活躍。各界の重鎮への取材やTVの生コマーシャルの仕事は「当時緊張していた自分を思い出して今も恥ずかしくなる」という。「世間知らずの女の子に話を合わせてくれた一流の人たちの思いやりを思うと」。大切な出会いの数だけ、”柔らかい感受性”は育まれた。
○…海外で研鑽を積むバイオリニストとして娘を育てあげた母親。これからは「後進の育成」にも力を入れたいという。「箏や三味線は日本人が生み出した楽器。独特の拍子は日本人の心の余韻を表現し、その音は日本人の心の源流を震わせる唯一無二の存在」。その魅力に気付き、大切にしたいと思う心を育てること。「今、やらねばと思うの」。変わりゆく時代の中で、自らにそっと使命を課す。
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