第84話 山岳信仰碑1〜富士講碑〜 とつか歴史探訪
国土の三分の二が山地の日本、古来より人々は山とともに生きてきました。山は水源などとして恵みを与えてくれる一方、火山噴火などの災害をもたらすこともあります。人々にとって山は畏れ敬うべき存在であり、多くの山に神社が営まれてきました。山には霊力があると信じられ、山の持つ霊力を得るため山々を巡って修行を行ったのが山伏や修験者です。
古くから富士山は霊山とされ、富士浅間神社が営まれ平安時代以来多くの修験者が修行しました。一般庶民の登拝も盛んとなった江戸時代には、山麓に「御師(おし)」が集落をつくり、各地を巡って浅間神社の札を配り、登拝や宿泊の世話をしました。村や町には「富士講」という登拝者の組織ができ、その先導は「先達(せんだつ)」と呼ばれました。また登山できない人のために、富士山に見立てた「富士塚」が各地に築かれました。
戸塚でも富士信仰は盛んであり、富士講仲間が建てた「富士講碑」がいくつも残っています。戸塚消防署の裏の山に築かれた立派な富士塚は昭和の初めに削平されましたが、頂上にあった富士講碑が矢沢の高松寺に移されて建っています。汲沢にもかつて富士塚があり、今その場所に富士講碑と富士浅間神社の小祠があります。品濃町の白旗神社の裏山、名瀬町の富士山下バス停近くの公園、深谷町の三島神社入口道筋、原宿の浅間神社にも富士講碑があります。また大坂下の第六天神社には、地域の名高い先達であった藤行の顕彰碑が建っています。
富士山を望む高い所に建てられた富士講碑は、当時の人々の富士山へのあこがれを伝えているようです。
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