市政報告vol.52 多摩川水害の克服を 自民党川崎市議団副団長 末永 直
1、台風19号全市被害
台風19号の爪痕は激しく、10月31日の市長報告によると、川崎市では死者1人、軽傷者7人、浸水被害約1685件、公共施設等の被害296施設351件、停電2万2400軒、ガス供給停止154軒、道路冠水25件、車両通行止12件、武蔵小杉駅横須賀線口駅前広場等冠水となりました。162カ所の避難所が設置され、ピーク時は3万3150人が避難を余儀なくされました。
2、中原区被害
中原区では軽傷者4人、浸水被害約720件、倒木8カ所、停電1300件、新丸子地下通路冠水による通行止、とどろきアリーナ館内浸水等です。30か所の避難所に8830人が避難しました。亡くなられた方へお悔やみ申し上げるとともに、被害に遭われた全ての方々へお見舞い申し上げます。
3、被災者支援
中原区の被災者支援としては【1】罹災証明【2】衛生指導【3】見舞金【4】みまもり支援センター訪問による地域相談【5】市営住宅への入居【6】災害廃棄物の収集【7】大規模マンション支援、等です。全市的には、応急度に応じて予算流用や予備費の活用、補正予算等により順次対応していきます。
4、多摩川水害の歴史
被害の大部分が「水」に因るもので、本市は「川」をいかに治めるかを長年の課題としてきました。そこで、私は『多摩川誌』や『川崎関係史料集10〜多摩川の水害と築堤運動』を紐解いてみました。本市が乗り越えてきた大水害を抜粋してご紹介します。1590年大洪水で流路が変わる。1627年羽田・川崎水害。1790年菅村(多摩区)境の堤防決壊、中野島村で人家が流出、登戸下流では床上4尺の浸水。1878年北見方村、諏訪河原村の田畑冠水。1907年川崎町全町浸水。1910年関東大水害、死者769人、行方不明者78人、家屋全壊または流出した数約5000戸、1914年洪水、アミガサ事件。1923年関東大震災により堤防亀裂。1937年多摩川大洪水。1966年二ヶ領用水、矢上川、平瀬川などで水あふれる、決壊、床上浸水。1974年狛江水害、民家19棟が流される。1982年川崎市床上・床下浸水223戸。江戸時代までは数年に一度、それ以降は10〜60年間隔で水害が発生しています。
近代水害史上最大と言われる1910年8月大水害では「上平間で最高水位7・8メートルまで観測されたが、観測標が流出」と記録されています。驚きました。喉元過ぎれば熱さ忘れると言われますが、これらの歴史は皆が覚えておくべきだと考えます。
5、多摩川土砂の撤去と利活用を
11月1日のまちづくり委員会で多摩川緑地の被害状況等の報告がありました。多摩川河川敷には広範囲に土砂が堆積しています。市民が再び催しやスポーツ等できるよう復旧しなければなりません。私は土砂を川崎区浮島や東扇島の臨海部の埋め立てに活用すべきと考え要望しました。一刻も早い復旧を目指します。
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4月26日
4月19日