中原地名探偵団【4】 水田農耕の名残「1」の坪 市ノ坪 編 諸説あり!
中原区の中央に位置し、二ヶ領用水に沿って細長く伸びる地域・市ノ坪。現在は、高層マンションや商店がずらりと立ち並ぶが、「市ノ坪」という地名には条里制区画の名残があり、かつてはこの場所で水田農耕が行われていたと推測されている。
条里制区画とは、水田を同じ大きさにそろえて管理する制度で、奈良・平安時代に行われた。一町四方を1坪とし、6×6町の区割りに1〜36坪まで通し番号を付けた。「市ノ坪」は「1ノ坪」に由来し、やがて同音の「市」を用いるようになったと考えられる。
市ノ坪は1889年に市制・町村制の施行で「住吉村」に編入。1925年には合併により「中原町」に、33年に川崎市に編入。72年に区制が施行され、現在の中原区市ノ坪となった。
なお、この地域の農家は江戸時代以降、農閑期の副業として、正月用のしめ飾りを盛んに作っていた。8月の生育途中で刈り取った稲を乾燥させ、年末に向けて準備を始める。最盛期には40軒が行っていた。
ちなみに、「小杉」という地名の由来は明らかになっていない。スキ(スギ)が砂地を表すことから、一説では「多摩川沿線の砂地」という意味だったと推測されている。
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参考文献:日本地名研究所『川崎の町名』、日本地名研究所『川崎地名辞典』上、なかはら地元学実行委員会『わたしたちの中原』、羽田猛『写真で見る中原街道―明治・大正・昭和・平成を訪ねて―』
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