中原区内の小学校を1944年(昭和19年)に卒業した同級生5人が、90歳を超えた今も元気に同窓会を開いている。初めて開催したのは20歳の頃。それから約70年にわたり、年2回ほど集まっては昔話に花を咲かせてきた。「一人も欠けずに続けられているのが生き甲斐」と声を揃える。
変わらぬ友情を育むのは、玉川小卒業生の比留川龍興さん、山田貞友さん、岡本美智子さん、長谷川悦子さん、大戸小卒業生の和田兆司さんの5人。岡本さんと長谷川さんは小学1年生から親友だったが、男女でクラスが分かれていた当時は「学校で男子と話したことがなかった」と長谷川さん。きっかけは、親友だった男性3人がやよい鮨(下沼部)で食事をしていた時、知り合いを介し女性2人が店を訪れたこと。一緒に会話し意気投合、気付けば5人で集まるように。元住吉へ出掛け、写真館で撮影するほどの仲になった=写真下。今でも必ず全員が揃う日を岡本さんが調整し、昔の思い出やそれぞれの家族の話、近況報告をし合うなどしている。
決死の4月15日
7月3日、この日もやよい鮨に集まった5人。寿司と料理に、ビール、にごり酒などをたしなみながら会話を弾ませる。「昨日のことのよう」と思い出が詰まる小学生時代。「怖い先生からビンタされて。今では考えられない」「教壇の下に隠れて先生を驚かしてね」「教育勅語を納めていた奉安殿に敬礼したものだ」。当時の通学路の様子は「一面が桃畑。からぶき屋根の家ばかりだった」と懐かしむ。そんな風景を一変させたのは、中学2年生になったばかりの4月15日「川崎大空襲」。米軍機が飛来し、「焼夷弾の油脂でひざに火がついて砂で消したんだ」と比留川さん。山田さんは「たまたま回避した日本電気(NEC)の防空壕で50人ほどが死んだ」。街中が火の海で多摩川に逃げた長谷川さんは「泳げないのも怖くて」。泉澤寺近くで被災した和田さんは「夜、焼夷弾が燃えて落ちてくるから空を見上げて避けて。落ちれば半径3メートルは燃え広がった」と恐怖を語る。死を覚悟した日の記憶は深く刻まれている。
同窓会には、家族の手を介さず、全員が電車やバス、徒歩で会場に訪れるなど健康を維持。十数年前に大動脈解離で生死をさまよったという岡本さんは「もう一度水泳をやりたい」と気力も十分だ。「みんなの元気な顔を見ることできて幸せ。100歳まで会を開こうとか目標なんかないよ。次また会おうってそれだけ」と全員で笑った。
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