誰もが知る歴史上の人物・徳川家康の生涯を描く2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜午後8時〜)が、1月8日(日)に幕を開ける。主人公の徳川家康を松本潤さんが演じ、古沢良太さんが脚本を務める話題作だ。幼少時代は織田家、今川家の人質という不遇の境遇を過ごしたが、三河を治め、天下分け目の関ヶ原の戦いで勝利。征夷大将軍に上り詰め、後に260年続く江戸幕府の礎を築いた徳川家康。中原区とも縁が深いのをご存じだろうか。
中原区の地名の由来となった中原街道を、徳川家康はよく利用していたという。江戸と駿府(静岡)とを結ぶ重要な路線として生まれた中原街道は、江戸虎ノ門からはじまり、多摩川を渡ると、中原区の丸子、小杉、小田中、新城を通り、相模川を越え平塚の中原で東海道に合流している。
徳川家康が初めて江戸に入った天正18(1590)年、まだ東海道は整備されておらず、家康は平塚からほぼ直線で江戸に向かうこの道を利用した。
2代将軍・秀忠が中原御殿(平塚)と同じように小杉に御殿を建てたのは、慶長13(1608)年。家康、秀忠、家光の三代にわたる将軍が鷹狩りなどの際に休憩したり、西国の諸大名が江戸への往復のために利用したといわれている。陣屋や将軍・大名の宿に使われる御殿が建てられると、旅人のための宿もでき、小杉一帯は宿場町としてにぎわい栄えた時代もあった。
かつて小杉御殿のあった跡地に現在は、昭和44(1969)年2月に武蔵中原観光協会が建立した「史蹟徳川将軍小杉御殿跡」の石碑が建立されている。中原街道は、この小杉御殿を通過する場所で直角に左に折れ、40メートルほど進むと、また直角に右に折れて進む。「カギの道」と呼ばれ、江戸時代には御殿の守りに役立ったという。
また、中原街道は別名、相模を通るので「相州街道」、平塚で造られたお酢を江戸城へ運んだので「お酢街道」などとも呼ばれていた。その後、小杉や小田中あたりでは下肥を積んだ荷車が朝夕に往来していたので「こやし街道」などとも呼ばれていた。(参考文献「中原街道と武蔵小杉―写真で綴る周辺の今昔―」羽田猛著)
二ヶ領用水は、慶長16(1611)年に竣工した我が国有数の古い農業用水だ。江戸時代に稲毛領と川崎領にまたがって開削されたことに、その名は由来している。
この建設は、徳川家康の江戸入府に伴い、江戸近在の治水と新田開発を命じられた用水奉行小泉次大夫が、地域の住民と力を合わせ、14年の年月を費やし完成させた。稲毛領と川崎領の米の生産量は飛躍的に伸びたといわれている。
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