徒然想 連載308 花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
七日頃には立冬になる今月は、一切有情の心質(しんぜん)の中に於いて一分の浄性(じょうしょう)有り、です。
出典は中国、唐代、不空(ふくう)訳『菩提心論(ぼだいしんろん』。
意は、生きとし生けるものの心の本質には、一分の清らかな本性があるということです。
原典ではここで月が次第に満ちてゆくことを喩えにして、人間の心の内の発展を示している。心の本質の中の一分の清らかな本性はあたかも月の初めの一分の明るさで、だんだんと太陽の光を受けて月が輝いてくるのと同様だと。そして、やがて月は完全無欠な満月となってゆく。だから心の中の一分の智慧を起して清めてゆき悟りを得るのであると教えています。
人間は本来、悟りを求める心、菩提心をもっているが、貪(むさぼ)り、怒り、愚かさという三つの煩悩により心が縛られ、ものごとの本質をを見極めることが出来なくなる。
師が教えているように、己の心の本性をよく観ると、そこには満月のように、清らかな光に照らされた清浄な世界があるこを見出すことが出来ると諭し、まず最初に心の中の一分の生まれながらに持った浄性に目覚め、そして、それを少しずつ養い育てていく努力をしなければならないと、説いているのです。
桃蹊庵主 合掌
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