ミツバに35年勤務する小菅さん 耳の障害越え仕事こなす
東俣野町にある自動車部品の電装品などを生産、販売する(株)ミツバに35年勤務する小菅豊さん(59)は、生まれつき耳が聴こえない障害を持つ。
県立平塚ろう学校を卒業後、運輸会社に5年間務め、23歳でミツバ(旧自動車電機工業(株))に就職。モーターなどを作る製造部や物流課(綾瀬工場)、生産技術部で生産設備のメンテナンス業務を経て、2002年から横浜管理課(東俣野町)で営繕業務を中心になり、任されている。
自宅のある大和市から約40分間の車通勤で、毎朝8時半に出勤。仕事は建物の修繕や美化、定期的な植栽の管理と幅広くこなす。体力仕事に苦労しながらも、他の従業員が感謝してくれることにやりがいを感じるという。
上司や同僚とのコミュニケーションは、ほとんどが筆談かジェスチャーによるもの。入社当初は「筆談が大変だった」というが、中には手話を覚えてくれる上司もおり、「きちんと対応してくれてありがたかった」と振り返る。職場の飲み会では、筆談で仕事の悩みを相談したこともあった。
常に仕事では「従業員が何を求めているか」を念頭に動いていたという小菅さん。特に植木や花壇の手入れが好きで、きれいな花を植えては、従業員たちを和ませていた。
耳が聴こえない不自由さから、相手に苦労をかけ、コミュニケーションが不足していたかもしれないという気がかりもあった。
しかし、その仕事ぶりに対して会社からの信頼は厚い。面倒見が良く、庭管理のノウハウやスキルも持っている。そして、いつも自分で仕事を見つけては淡々とこなしていた。
小菅さんは来年1月31日の60歳の誕生日に、定年退職する。会社は再雇用を望んだが、小菅さんは退職を選んだ。「長い間仕事を続けられて感謝したい」と小菅さん。障害に関わらず、高い仕事能力で会社に貢献し続けた。
退職後は、家庭菜園や6人いる孫と遊ぶのが楽しみだという小菅さん。
昨年から会長を務める、ろうあ者のグループ「友和会」のメンバーと釣りやゴルフ、大好きな温泉に行く計画もある。「自分の時間を楽しみたい」と小菅さんはにこやかに笑った。
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4月18日