1873年(明治6年)6月、その前年に公布された教育法令「学制」を受けて産声をあげた「富塚学舎」。以来、戸塚尋常小学校、戸塚国民学校を経て、太平洋戦争終戦から2年後の1947年(昭和22年)に現在の戸塚小学校として改称された。140年におよぶ歴史の中で輩出した卒業生は約1万3000人、在籍した教職員も2000人近くに上る。
児童増加に伴い、51年から71年にかけて東戸塚小、汲沢小、矢部小、南戸塚小へ分離独立。98年には全児童数が510人にまで減少したが、近年はマンション新設などで再び増加の一途をたどり、現在は約900人が学ぶ。さらなる増加も見込まれており、来年1月にはプールを解体して3階建ての新校舎を建設する予定。新たなプールはその屋上に完成する。
昨年4月に36代目として同小に赴任した伊藤法彦校長。校長室の戸棚には慶応や戊申の年号が入った書類など歴史的資料が多く収まっており、1世紀を軽く超える歴史の重みを実感する日々だ。
戸塚小の特徴の1つが体育館の規模の大きさ。「中学校仕様よりさらに広い。舞台の奥行も通常は4〜5mだが、戸塚小は8mもある」。戸塚駅から近い立地もあって年始には戸塚区賀詞交歓会も行われているが、「小学校の体育館が会場というのは他の地域で聞いたことがない」。
親子3代、4代で通う世帯も多く、「学校に対して協力的かつ好意的な方が多い地域。伝統校であることを感じる」。また、区の名前を冠した学校で働けることに、自信と誇りを感じている教員も多いという。
校長として140周年の節目に立ち会えることに喜びつつ、「子どもたちを見守る意識が強い地域で、児童には多くの大人と関わりながら成長していってほしい」と語っていた。
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