高津物語 連載第八四六回 「江戸の地形」
江戸東京の地形は、大きく二つに大別される。
一つは武蔵野台地で、末端が東京湾に迫る台地を形成する山ノ手地区である。
もう一つは、隅田川のデルタ地帯が形成する低く、湿った下町地区である。
そしてこの間に、下町の低地から台地に侵食した若くて、入り込んだ谷地―即ち上野不忍池に注ぐ藍染川・神田川・渋谷川・目黒川等の細長い谷地と、これらの低地から台地に登って行く急坂とで、成り立っている、のが判る。
下町は、河川が分流している低湿のデルタ地帯だから、至る所に橋がかかっている。
京橋・日本橋・新橋・厩橋・浅草橋・万世橋・水道橋・飯田橋等の橋名がある。
延宝八年六月十一日の「江戸町触れ」の文言に「神田上水道水上総払ひこれあり候間、相対致し候町々は、桃青方へ急度申し渡さるべく候」とあり、松尾芭蕉が神田上水の浚渫作業―水上総払ひを、数百人の人夫を使って行っていたことが判る。
この証跡が、神田川沿いを東に進んだ「関口芭蕉庵」にある。
深川芭蕉庵と違い、ここは住まいではなく芭蕉のサラリーマン時代の仕事を記念して建てたもの。
左手に水神社のある急坂を昇ると、左に細川家下屋敷の洋館が見えている。
台地を侵食した谷に沿って江戸町内は拡散していったから、四ッ谷・市ヶ谷・渋谷・鶯谷・千駄ヶ谷・阿左ケ谷・世田ヶ谷という谷戸の地名が多くなった。
また台地に登るためには九段坂・乃木坂・赤坂・神楽坂・団子坂・菊坂・妻恋坂・富士見坂と坂の道を数えると、東京には五〇〇もの坂道があるという。
坂道を登ると、そこには広々とした台地の原野や畑、雑木林が広がって居た。
小日向台町・芝白金台町・常盤台・青葉台・初台・南平台等の台町である。
その他、緑ヶ丘・ひばりヶ丘・向ヶ丘等の住宅地。
原町・代々木上原・中野といった武蔵野の原野を示す地名の中に、湧水の呑みやすい所に住みついたので大泉・上井草・石神井・大井町・井之頭・荻窪・大久保・窪町等の地名が無数に発見される。
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4月26日