高津物語 連載第八五二回 「高津という地名」
「たかつ」と云う地名は日本全国に幾つかある。
『コンサイス地名辞典』(三省堂)によると、わが高津区も、堂々と登場する。
川崎市中西部、五行政区の一つ。面積は三四・五キロメイトル。
一九七二(昭和四十七年)四月一日政令指定都市になり、区政を敷いた。
北側半分の南武線沿いは住宅地、南側半分は多摩丘陵地は万葉集に登場する「多摩の横山」といわれる緑地帯である。東西両端は第三京浜国道と東名高速道路が南北を貫ぬく、と紹介されている。
高津という名の町は他にもあって、島根県西部の行政区の内、益田市に高津町がある。
万葉集の時代に活躍した柿本人麻呂を祭る柿本神社の門前町で、河口港として発展した町で、近世期には、津和野藩の外港として有名になったらしい。
有名なのは「高津連理の松」が国指定天然記念物に指定されている事という。
交通は、山陰本線益田駅の西二キロ地点にある。
その他、「高津」という団地が千葉県八千代市の高津大和田新田にある日本住宅公団の団地という。
戸数が約四、一〇〇戸というから、かなり大きな団地で、昭和四七年から入居が始まったらしい。
交通は京成電鉄成田線八千代台駅からバスで十五分、東京都心までは、一時間十分掛かるという。
「高津」区の地名の由来は、前にも触れたが、区内各村々が合併して新しい街を作り、町議会で「どういう名前にしたらよいか」を議論した時に、仁徳天皇御製のうち
高き山に登りてみれば
霞たっ(津)
民のかまどは
賑わいにけり
から「高」と「津」を頂いて、「高津」としたという話が、まことしやかに伝承されている。
爾来、今日まで「高津町」で推移してきたし、川崎市の行政区が変わっても、「高津区」となっていることは、御同慶に堪えない事だと思っている。
「高津」という名前が、出来ることなら、未来永劫に存続させたいものだと願う事しきりである。
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