高津物語 連載第九一七回 「多摩川大洪水」
『武陽玉川八景の図』を描いた青陵岩精なる人物が、どの様な人物なのか…未だ承知していない。
私の書棚に隠れていた『海保青陵』(「日本思想体系」第四十四巻岩波書店刊)が青陵岩精と同一人物と思って飛び付いて見た。
が、「青陵」と活動傾向は似ている物の「青陵岩精」と決めつけるには、決め手がない事が分かり、再び研究は頓挫した次第である。本号に掲載した写真は、山田蔵太郎氏の旧著から拝借したものである。
が、今回のシンポジウムを機に、この写真を見直して私は吃驚仰天した。
何故かと言って山田蔵太郎博士は氾濫した「平瀬川」の濁流に身を浸しながら、決死に撮影しているドキュメンタリーの凄さだ。
次に「二ヶ領用水」が宿河原・久地合流地点で氾濫して激流が「津田山」を押し流し『武陽玉川八景図』に描かれている「津田山」を真ん中から真っ二つに切り裂き、滔々と濁流が土砂を押し乍ら流れて行く「決定的瞬間」を、山田氏は撮影しているのだ。
「史上稀に見る大水害」と聞いて「平瀬川」に日頃から関心のあった、愛用のライカ・カメラを持って飛び出し懸命にカメラに収めたに相違ない、と思われる。
「津田山」を真っ二つに押し流した濁流の凄さを、篤とみて欲しい。
濁流が間違いなく、「津田山」の直下を流れていることに気が付かれる事だろう。
ということは、濁流は津田山際から高津区役所のある「ねもじり坂」迄の下作延東部地域を巻き込んで溝口「さかえ橋」を目指した。
その範囲は、概ね土地の低い大山街道下宿、宗隆寺付近から、「さかえ橋」付近を水浸しにした。この時に撮影された上田武一氏が濁流の中を、船を漕いでいる写真が、今も残っている。
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4月26日