歴史探偵・高丸の「あお葉のこと葉」ファイル vol.2 「谷戸 前編」
高尾山麓から南東に向かって下りてきた多摩丘陵。その小高い丘陵台地が雨や湧き水によって浸食されて形成された谷状の地形を谷戸(やと)と呼ぶ。青葉区が開発される前の航空写真を見れば、樹木の生い茂った黒っぽい丘陵地と白い谷戸がまるで毛布のシワのように折り重なっているのが分かる。
青葉区(当時は緑区)に越してきた頃、近所のスナックで「谷野さん」という方と知り合った。ボトルの名前を見て、「ヤノさん」と呼んでいたら、しばらくして「ヤノじゃなくヤトノです」と笑いながら訂正された。慌てて謝ったが、「なぜ(ト)が入るんですか?」と訊ねる勇気は二十代の自分にはなく、ただ釈然としない気持ちだけが残った。
谷戸という地名があることを知ったのは、ずいぶん経ってからのこと。最初に出会ったのは、元石川町にある尾作(おざく)谷戸。県道13号の覚永寺下信号から荏子田方面へ伸びる細長い集落の呼称だと地元の方に教わった。
谷戸の景観が楽しめる場所として「寺家ふるさと村」が有名だが、恩田の白山谷戸や奈良川の源流にある土橋(つちはし)谷戸も、谷戸の自然や雰囲気がそのまま残されている。
あざみ野駅と江田駅の間には、かつて自然の宝庫と呼ばれた赤田の谷戸が東西に横たわっていた。小黒谷戸(荏田)、蓬谷戸(美しが丘西)、中谷戸(千草台)などはバス停にその名を留める。鴨志田の中谷都バス停も本来は中谷戸だったに違いない。荏田北の長谷第一、第二公園は思わず(はせ)と読みそうになるが、(ながやと)と読む。奈良三丁目の熊ケ谷も戸が付かないが、(くまがやと)だ。調べてみると、本来は「谷」一文字で(やと)と読んでいたらしい。なるほど、谷野さんの名前に(ト)が入るのは、本来の読みだったのだ。
後編につづく
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