新横浜で防災訓練 帰宅困難者受け入れ 強化 関係機関が東日本大震災受け
「防災の日」のきょう、新横浜駅前周辺で防災訓練が行われる。今年は東日本大震災を受け、これまで実施されていなかった帰宅困難者への対応を強化する。駅周辺のホテルが参加し、「もしも」に備える。
訓練に参加するのは港北消防署のほか、同駅周辺ホテルや企業、港北区役所、港北警察署、横浜労災病院など主だった関係機関だ。
東日本大震災が発生した3月11日、同駅には3400人以上の帰宅困難者があふれた。その夜は市の受け入れ施設に指定されている横浜アリーナにまず誘導されたが、収容人数を上回ったため、港北スポーツセンターなどを開放し、対応にあたった経緯がある。港北区役所では、こうした事態を避けようと、寝泊りができる設備を持つ、新横浜駅周辺のホテルに支援を要請した。ホテル側も訓練に協力する姿勢を示したことから今回の訓練参加につながった。
訓練に参加するのは、新横浜国際ホテル、新横浜グレイスホテル、新横浜フジビューホテル、新横浜プリンスホテル、ホテルアソシア新横浜で、ホテルの収容可能人数の確認作業や駅からホテルへの誘導訓練などを行う。区役所職員も駅から周辺ホテルなど帰宅困難者の誘導訓練を実施する。
関東大震災の時港北区は?
今から、88年前の1923年に起こった関東大震災。この時の港北区の被害状況はどうだったのか―。
大倉精神文化研究所の平井誠二さんによると、当時の港北は農村地帯で、人口はわずか約1万8千人(約2600戸)だった。区内では震度6が計測されたが、死者・行方不明者は10人程度に留まったという。約75%の家屋が被害を受けたにも関わらず、人的被害が抑えられたのは農村部のため、火災の発生がほとんどなかったことが要因だ。ただ、鶴見川やその支流で多くの堤防が決壊。そのほかにも、地割れや液状化現象が確認されており、1か月間におよぶ余震、井戸が枯れたことによる水不足などが起こったという。
平井さんは「今、鶴見川の堤防はしっかりしているが、4、5mの津波が発生した場合、海側から陸地を伝って区内にも押し寄せる恐れはある」と話している。
|
<PR>
|
|
|
|
|
|