港北区版 掲載号:2018年8月16日号 エリアトップへ

終戦特別インタビュー 横浜が赤く染まった日 空襲経験者 佐藤納子さん

掲載号:2018年8月16日号

  • LINE
  • hatena
当時を語ってくれた佐藤さん
当時を語ってくれた佐藤さん

 終戦から73年を迎える今、その惨劇を語り継ぐ人々は貴重な存在となりつつある。当時の様子を知るべく、小学生の時に横浜大空襲を経験した佐藤納子さん(82歳・港北区在住)に話を聞いた。

*  *  *

 当時佐藤さんは、緑豊かな磯子区岡村町で暮らしていた。当時小学3年から6年は皆疎開していたが、病を患った佐藤さんは自宅に。しばらく周辺には大きな被害がなく、さほど実感が湧かぬまま時は過ぎた。記憶に残る初めのサイレンは、1945年3月のこと。皆が寝静まった頃、南区中村町を中心に爆撃を受けた。消火のために残る親や大人たちを背に、火に追いかけられながら姉と弟2人と岡村天神様の横穴防空壕へ走る。「いつ死ぬか分からないという状況。子どもながらに自分の命は自分で守らなきゃと思いました」

 横浜が赤く染まった5月29日の白昼。唸るサイレンに促され、姉弟と防空壕へ。その中に響くのは、泣き声と経を唱える声、そして外から聞こえる”バリバリバリ”と街を侵す音。ギュッとつむった目には、低空飛行の機体が爆弾を落として回る様子が浮かび上がる。とてつもない恐怖とともに敵が去るのを待った。

 どのくらい時が経過しただろうか。襲来が収まり外に出てみると、静まり返った街は意外にもいつもと変わらぬ風景。ふと自宅近くにあった横浜学園の丘に登り、街を見渡してみる。その景色は想像を絶するものだった。「見えるはずの、伊勢佐木町の百貨店が、ない。ただただ、焼け野原」。驚きのあまり体は動かず。燃える街を望みながら「失われたものは返ってこない。戦争ってこういうものなのか」とその恐ろしさに身を震わせた。

 終戦を迎えたものの、生活は変わらなかった。食料はなく、わずかな芋類のみ。「姉が持ってきた海藻のソバはまっずくてまずくて。『だってお腹空いてしょうがないんだもん!』と泣く姉の姿が忘れられません」。空腹の子どもたちは米兵のもとへ行き、「ギブミーチョコレート!」とねだり、家主の隙を見計らっては外でふかしている芋を盗んだ。まともな食事を摂れるようになったのは、それから3年ほど経ってからだという。

 「皆で優しい気持ちを持てば、平和な国になる」。大学卒業後、教鞭を執っていた38年の間は、そうした信念を持って児童に向かい合ったという。「平和教育を行うのが、人生の先輩の役目だと思っています。絶対に同じ思いをさせないように」
 

啓進塾 新入塾生を募集

中学受験専門 本当の「賢さ」を育てる 入塾説明会など開催

http://www.keisin.com

<PR>

港北区版のローカルニュース最新6

火の用心呼びかけ

港北消防署

火の用心呼びかけ 社会

3月1日から火災予防運動

2月25日号

ウクレレ往診で心つなぐ

小机の小児医院

ウクレレ往診で心つなぐ 社会

障がい児医療に音楽活用

2月25日号

ひっとプラン港北、素案公表

ひっとプラン港北、素案公表 社会

3月31日まで、意見募集

2月25日号

案内役は児童

案内役は児童 教育

師岡小6年が写真展

2月25日号

教室が鶴見川や森に

教室が鶴見川や森に 教育

金港幼稚園で作品展

2月25日号

現職2人が立候補に向け準備

現職2人が立候補に向け準備 政治

衆院選・神奈川7区

2月25日号

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 2月18日0:00更新

  • 6月25日0:00更新

  • 4月30日0:00更新

港北区版のあっとほーむデスク一覧へ

最近よく読まれている記事

コラム一覧へ

港北区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2021年2月25日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク