日本から約1万3千Km、カリブ海の西にある中米の国「ニカラグア共和国」。同国に生まれ、約20年前から戸塚区で暮らしているのがドゥルセ・マリア 菊池さん(53)。現在汲沢に住み、上倉田町の「横浜スペイン語センター」講師として母国語を教える彼女に、故郷への思いと、言葉を学ぶ大切さを聞いた。
初めての訪日は1988年。大学で学んだ生態学の知識を深めようと海外留学を志したのがきっかけだ。当時、たまたま留学生を受け入れていたのが日本だった。日本の漫画や電化製品は身の回りにあったが、言葉も文化も違う国。不安は大きかったが「このチャンスは二度と巡ってこない」と決心したという。
温暖な国を離れ、訪れた留学先の北海道大学。あまりの寒さと初めての日本語に戸惑いながらも、学びを深めた大学時代は楽しかったという。そして、のちに夫となる男性と出会ったのもこの頃だった。
「留学を終えて帰国した後に、彼がニカラグアまで迎えに来てくれた」。手を引かれるように再び来日。横浜市内での新婚生活が始まり、間もなく2人の子宝にも恵まれた。
言葉の壁に戸惑い
「学生と主婦では使う言葉の種類がまったく違った」と話す。例えば具合の悪い子どもを病院に連れて行っても、医師の言葉がわからない。夫は仕事で帰りが遅く、不安の日々が続いた。
そんなドゥルセさんを支えたのは、我が子を思う気持ちだった。「このままだと、子どもにちゃんとした日本語を教えることもできない」。日本語を学びなおそうと、独学を始めた。
この頃の経験が今に生きている。現在、母国語のスペイン語講師として、自分が培ってきた語学の学び方を伝えている。
さらに授業では、現地の文化や食事の紹介にも熱心に取り組んでいる。
日本に訪れた当時、ニカラグアは革命後の混乱期にあった。そのため家族や親戚を思う気持ちは人一倍大きかったという。「だからこそ母国の文化や言葉を生かし、人に何かを与えられるのは嬉しい」。にこやかに話す姿から、故郷を愛してやまない思いが見える。
現在、在日ニカラグア人数は約100人。まだ交流が少ないからこそ、アピールしたい気持ちも強い。「途上国だが、明るくて温かい人が多い。母国の魅力を伝えるこの仕事はずっと続けていきたい」と話した。
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