とつか歴史探訪 ■〜旧東海道・戸塚宿を訪ねる〜第63話 〜俣野五郎景久 石橋山の戦い〜
俣野観音堂ゆかりの武将俣野五郎景久の北陸での戦いについては、前にこのコラムに掲載しましたが、石橋山の合戦での景久の戦いぶりについては『源平盛衰記』にドラマチックに語られています。
源頼朝は治承4年(1180)伊豆での挙兵の後、相模の石橋山で大庭景親率いる平家軍と激突しました。両軍の対峙する中、大庭景親の弟俣野五郎景久と源氏方の佐奈田与一義忠の組み打ちとなりました。相撲強者で知られた景久が、不覚にも佐奈田に組み伏せられてしまいました。そこへ景久の従兄弟の長尾新五、新六が駆けつけてきました。夕闇が迫っていて、どちらが景久なのか分かりません。佐奈田が「上が俣野、下が佐奈田」とウソをいうと、景久が下から「間違うな、上が佐奈田、下が俣野」と必死で叫びます。長尾兄弟が迷っていると、景久は「情けない人たちだ、声に聞き覚えがあるだろう。鎧の色をよく見てみろ」といいます。近寄り鎧を見て、果たして下が景久と分かりました。佐奈田は「ばれたか」と思い、いきなり刀で景久の首を討とうとしましたが切れません。前に敵を切った時、血を拭わずに鞘に納めたため、刀が血糊で固まり抜けていなかったのです。その隙に長尾新六が佐奈田の兜を持ち上げて首を落としてしまいました。景久は長尾兄弟の助けもあって功名を揚げることができました。
長尾氏の拠点は現栄区の長尾台にありました。長尾新六定景はその後の戦いで源氏方に捉えられましたが、許されて御家人になりました。戦国越後の武将長尾景虎(後の上杉謙信)はその子孫とされています。
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