高津物語 連載第八五八回 「あつし会」
月一回第一木曜日十時から正午迄「川崎の歴史と文化を識る会」(通称「あつし会」)を開いている。簡単に言っても言わなくても何故か私の名前である。
私が一方的にお喋りする定例会で、会場は溝口の「てくのかわさき」五階である。
会費は月額五百円、参加資格は問わず、誰でも参加できる。毎回出来るだけ参加出来る事が望ましい。
話題は『高津物語』八百回の中からテーマを見付け更に深く考究したいという著者の研究心の旺盛さから来ている。
高津区の歴史を中心に「川崎市史」を話しているが、何故か宮前区の方の参加者が多い様に思う。
先日の例会は、開会以来実に百二十回で、十年目を迎えたことになった。
話題は紀元前七千年頃迄溝口から先は海だった事。
溝口より南にある中原・幸・川崎各区は海深十メートル内外の古多摩湾が形成された事から始まった。
万葉集に「多摩の横山」と歌われた南武線武蔵溝ノ口駅南口に広がる通称久本山の続きが、幸区の日吉地区(南武線尻手駅辺り)迄続き、太田道灌が加瀬山に江戸城を作ろうとした貝塚を筆頭に集落が営まれる。
子母口・千年・新作・末長・梶が谷・井田・南加瀬等に集落が営まれ、後に貝塚遺跡に指定されている。
次に南武線「武蔵溝ノ口」「武蔵新城」「武蔵中原」「武蔵小杉」は「武蔵」という古臭い名前が何故ついてるのか?答えはJR丹波線「溝口駅」・伯備線「伯備溝口駅」が先行してある事。
「新城」は飯田線の読みこそ違え「新城駅」(しんしろ)が存在する。「中原」は長崎本線中原駅(なかばる)と読むが、先行して存在。「小杉」は北陸本線「小杉駅」が既に現存した。
旧国鉄は全国一地方一駅名を旨とした為、先行駅名との重複を避け、大義名分を通したため、旧国名から「武蔵」という接頭語が付いたのが理由である。(既に『高津物語』八百五十回で述べた)
『コンサイス地名辞書』(三省堂)で調べた事実だが正確に調べれば、もっともっと意外な事実が出てくると思われ、お孫さんの勉強に役立てても貰いたいものだと思う。
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