高津物語 連載第九四九回 「池田屋の蔵」
大石橋を渡って、右側の橋場遠藤商店・鈴木時計店のお隣に「池田屋染物店」の面影を残した大きな駐車場があり、駐車場の奥右手に大谷石で美しく仕上げられた土蔵がある。
私はこの蔵が何故か気に入っていて、私の「大山街道巡り」では、必ずと言っていいほど、案内する場所だ。
何が凄いかというと、溝口上田安左衛門家の下を蛇のように流れて来た「二ヶ領用水」をそのまま埋めた
道路の左側は、津田山―七面山下まで、青々とした田圃が続いていて、人家は十字屋商店の本多君の実家を除いて一軒も無かったのを覚えている(その時、誰かが味噌を持っていて、胡瓜(きゅうり)に付けて食べた味を未だに覚えている。美味かった)。
二ヶ領用水はそのまま流れて私の字になる「法泉坊橋」を渡り、溝口神社方面から来た水と合流して、池田屋染色店の物干場に出、一仕事終えた後、二ヶ領用水に戻って行くルートをとっている。「池田屋さん」の駐車場は大きくて、この間まで洗い張りした布が天日で乾燥されるため、「ひご」を張った布が、何枚も干されていた往時の光景を、懐かしく思い出している。
洗い張りの終わった布は丁寧に畳まれて、大谷石の蔵に納められ、出番を待っていたのだろう。
それにしても、誰にも見られず、忘れられたままになって居る(大谷石)の蔵は、誰にも顧みられることもなく可哀想だと私は考える。 この蔵の為にも、私は頑張って生き延びて、「大山街道巡り」のガイド役をつとめるべきだと、区文化協会事務局長の田村富彦さんとも話し会い、勇気付けられている所だ。思えば「高津物語」を書き始めて二十年を経過、自分でも驚いている。
十年一昔というけれど、町の様子も随分変わった。
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