区内二子にあるアトリエで50年以上にわたり生け花教室を主宰している中野香静(こうせい)師範が、ミャンマーから来日した教え子の育成に全力を注いでいる。現在87歳の中野さんは「最後の教え子になるかもしれないが、現地(ミャンマー)で師範として活躍できるように」と、期待を込めている。
現在、猛特訓中
中野さんに師事し、生け花の師範になるために猛特訓を重ねているのは、都内で輸入業などを手掛けるミャンマー人のウィンウィンミィンさん。皆から「ウィンさん」の愛称で親しまれ、中野さんのアトリエに通い詰めること約15年。一時はビザの関係で帰国を余儀なくされるなどの紆余曲折があり、稽古が途切れた時期があったものの生け花への情熱を失わず、2008年頃からは生業も安定してきた事も手伝い、みるみる技術を吸収していったという。
師範へ、あと1年
5年ほど前から、娘・息子と3人で都内に暮らすウィンさんだが「ゆくゆくはミャンマーで生け花を教えられるようになりたい」という夢があり、中野さんも「全力で応援させて頂ければ」と強固な師弟関係を築いている。
文字通り二人三脚で指導を受けているウィンさんの現在のレベルについて、中野さんは「あと1年くらいで師範として免許皆伝になれそうです。最近は特に頑張っておられますよ」と評価。入門当時は日本語もままならず、生け花の様式美ともいわれる「不等辺三角形」を教えるために巻き尺を用いて身振り手振りを交え必死に基本やセオリーから教え込んだ、といったエピソードを懐かしそうに回顧する。その上で「今は基礎も固まり(巻き尺などを使わずとも)感性で、花を一見するだけで作品をイメージできるようになり、応用もできるようになりました」と目を細める。
一人前のアーティストとしてはほぼ十分の力量を身につけたウィンさんだが、今後は、将来的に指導する側になる事を念頭に「教え子の(正面側からの)視線を意識しながら、自身は背後側から、作品のイメージを膨らませられるように」と新たな課題を与えられ、師範を目指し精進する日々が続いている。
スーチーさんに想い込め「パダウ花」で生け花を
制作高津駅の一角に展示
ウィンさんが生まれ育ったミャンマーでは、今もなお軍事クーデターなどによって不安定な国内情勢が続いている。
またウィンさんによれば「生け花を教える師範がいない」という状態が続いており「私が中野師範の『匠の技』を広くミャンマー国内に広めていきたいんです」と強い願望を口にする。
またもう一つ、ウィンさんのモチベーションを保つ要因となっているのが、ミャンマー民主化の象徴とされるアウン・サン・スー・チー氏の存在。民主化指導者として昨今のクーデターに巻き込まれ、拘束されている同氏を、遠い異国の地から気に掛けるウィンさんは「ミャンマーが早く平和になるように」と願いを込めた生け花の作品を制作。高津駅のコンコース一画に展示されており、駅を行き交う人々の目を楽しませている。
「早く平和な国に」
新年を祝う正月などにミャンマーで良く飾られる「パダウ花」という品種を日本の生け花に取り入れたこの作品。ウィンさんは、こうした取組みを通して日本とミャンマー、両国の架け橋になろうと画策。アウン・サン・スー・チー氏にもメールで「私が師範になったら生け花を贈ります」とメッセージを送信した。すると「楽しみに待っているわ」という返信があったのだという。
「(ミャンマーが)元気で平和な国に早く戻りますように、お祈りしています」と話すウィンさん。師範の中野さんも、自身最後となる教え子に、持っている極意のみならず「日本文化」や「伝統」「日本人の心」をしっかりと伝え、ミャンマーで活躍する日を、心待ちにしている。
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