蟹ヶ谷で前方後円墳発見 市内で唯一現存
川崎市教育委員会は3月29日、高津区蟹ヶ谷の古墳群から、6世紀ごろ造られたとみられる前方後円墳を発見したと発表した。市内に残る唯一の前方後円墳。専修大学などの研究者らと川崎市民ミュージアムが連携し、今後5年をかけて調査を進める。
蟹ヶ谷では1976年までに古墳3基が見つかっており、昨年、このうち1基が前方後円墳と判明した。この前方後円墳は全長30メートル、高さ2メートル。市の古代史の解明につながる発見だという。
市教委によると、現地は竹やぶが繁茂し、古墳の形状の確認が困難だった。昨年の東日本大震災発生後、同委と市民ミュージアムが現地の被害状況の確認と古墳群の調査を実施した結果、前方後円墳と判明。6世紀ごろに造成された可能性が高いことが分かった。
今年、専修大学と日本大学の研究者からなる多摩川流域遺跡群研究会と市民ミュージアムが連携し、前方後円墳の本格的な調査研究に乗り出した。2012年度から2016年度にかけ、古墳の清掃、発掘調査などを進めるほか、現地見学会も開催するとしている。
豪族の動向知る手がかり
前方後円墳は、大和政権時代に有力豪族の墓として用いられたとされている。
蟹ヶ谷古墳群の前方後円墳は、6〜7世紀にこの地で権力を振るった有力豪族の墓とみられる。同古墳群がある矢上川流域では、加瀬台古墳群や梶ヶ谷古墳群など複数の古墳が発見されており、蟹ヶ谷古墳群の調査は井田・蟹ヶ谷地域で勢力を誇った豪族の動向を知る手がかりになるという。
多摩川流域遺跡群研究会の浜田晋介教授(日本大学)は「多くの謎を秘めている古墳だ。この地方を治めていたトップクラスの地位の人物の墓ではないか。今後、冠や耳飾りなどの副葬品が出土する可能性がある」と話す。
古墳群からほど近い場所に勤務する女性は「(これをきっかけに)この古墳を地域の人にとっての財産として大事にしていきたい」と話した。
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5月3日