高津物語 連載第八二五回 「溝口神社と初詣」
新しい年を迎えて自らの住み付く土地の鎮守の神様、その地を鎮め守る神―氏神様である産土神(うぶすなかみ)に、新年になって初めて参詣することを「初詣・初参り」と、古くから言い慣わして来た。この他に略式のこと・正式でないことを意味した場合もある。
初とは、もともと初穂のことをハツといった。
最初を意味したが、その昔、高津区だった今の宮前区に初山一・二丁目という地名が残る。生田緑地に接して、川崎国際カントリークラブゴルフ場を包み込み、東は平と白幡台に隣接する。「初山」の地名の由来を「てくのかわさき」三階にある日本地名研究所の労作になる、川崎市発行の『川崎の地名』(旧版)に、江戸時代は下菅生村に属していたが、明治に入り菅生村になり、明治二十二年の市制・町村制施行による四村(菅生村・平村・長尾村・上作延村)合併で向丘村大字菅生字滝沢と字初山になったと記されている。地名の由来は、正月の山入れを初山と云う所から、それにかかわる地名かとも思いますが、はっきりしませんとある。
小麦を収穫後挽いて、その初物を持たせて嫁を里に行かせる行事を、昔はコナバツ(ハツ)と言った。
二月一日をハツツイタチというのも、正月十五日を、新年(望(もち))の正月と云ったのも旧時代の古語で、団子を作り家の片隅にたてた習慣があったことによる。
これを繭玉(まゆたま)といい、小正月の飾り物で、柳・榎木・山桑・アカメガシワ等の枝に餅・団子などを色とりどりに沢山つけた物で、もともとは繭が沢山できる事の予祝だったらしい。
それが後に柳等の枝に菓子類で作った珠(たま)を数多くつけ、七宝・宝船・骰子(さいころ)・鯛・千両箱・小判・稲穂・当り矢・大福帳等の縁起物の飾りを吊し、神社などで売るようになり、所によっては、まいだま・まゆだんご・なりわいぎ、と云った。
子供の頃、溝口神社は勿論、親に連れられて川崎大師・穴守神社等に参詣した楽しい思い出があるが、溝口神社の成立についてしばらく考えて行く事とする。
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