高津物語 連載第八七四回 「高津小学校同窓会機関誌『光』第三号」
大正十一年五月十五日発行の機関誌『光』は、高津小学校同窓会学芸部の発行である。
そこに何故、下野毛の与謝野鉄幹・晶子の三女佐保子さんの作品が、載っているのか、その理由が解かり兼ねるという方も居られると思うので、説明しておく。
大正十一年当時、神奈川県橘樹郡高津町の公立小学校は、高津町立高津小学校一校だけであった。
だから下野毛・北見方・諏訪・坂戸・久本・下作延・梶ヶ谷・上作延・久地に住む子供達は、高津小学校へ通った。現在の東高津・久本・梶ヶ谷・西梶ヶ谷・下作延・上作延・久地小学校等は、人口増加のより、皆戦後に出来た学校である。
「玉川の夕ぐれ」
高1
与謝野佐保子
「夕ぐれに
一人さびしや
玉川の
ほとりさまやう
彼のわらべかな」
「母校のふじ」
高1
同 人
「あなあわれ
思へばかなし
ふじの花
母校をさりて
あの世へとたつ
「春の日」
高1
同 人
「春の日に
友つれ立ちて
野にいそぐ
わらべのすがた
とほく見えたり」
「編集のあとで」として、「内藤生」という人が書いているが、言うまでも無く「内藤双柿庵」慶雲師のことで『高津物語』に何回も登場している人である。
「上田久七兄の御骨折りで、歌壇の重鎮である与謝野先生御夫妻の短歌と、母校出身である上田喜太郎先生と、岡本かの子女史から詩の玉項の御寄稿を得て巻頭を飾ることが出来た事を何より悦ばしく、厚く感謝いたします」とある。
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