高津物語 連載第九二七回 「多摩川大洪水」
「多摩川大洪水」と聞いても、現代の人々は他所事のように思うに違いない。
だが昨年から続いているテーマである「府中県道」を論ずるためには、どうしてもこの県道を決壊させる「多摩川」を論じなければならない必要性がある。
そもそも岡本一平と岡本かの子の出会いが、この「多摩川大洪水」であった。
「何れにせよ、翌明治四十四年二月二十六日には、長男太郎が生まれているので、事実上のふたりの結びつきは、四十三年初夏と信じられる。一平が、大水の時、二子の大貫家へ水見舞いに行き、その夜徹して、寅吉に求婚し、寅吉がついに、かの子との結婚を許したという話は、一平自身が書き、伝説的に有名な話になっている。
往年の新聞を調べてみれば、明治四十三年八月十一日の朝日新聞に
「関東一面泥の海
稀有の洪水」
という見出しで「八日以来の大雨にて、東海道の全部及び東山道の一部諸川増水して水害甚だしく、汽車及び電信電話の如き、何れも不通となり、浸水家屋及び浸水耕地は其の幾千なるを知らず、被害の甚だしき部分を記せば左のごとし」
「九日朝より非常なる出水あり、諸川堤防決壊し、濁流滔々として作物は素より其の他の被害多く…」
「鉄道全く不通」
「雨は尚盛んに降り、益々増水しつつあり」という記事で埋まり、翌十二日は
「箱根の福住楼流失、洪水の惨禍各地激甚」
というセンセーショナルな記事が出ている。更に翌十三日には隅田川決壊が報じられている。この時の水害は天明以来の洪水で、四十年大水害よりも甚しいと伝えられていた。
一平がある朝、新聞で多摩川の洪水を知リ、徒歩で泥水の中をわたり歩き、朝出発して、日暮れにかの子の家へたどり着いたと書いたのは、いかにもこの時の大水のことのようであるから、夏以前に結婚はしていなかったと見られる」(『かの子撩乱』瀬戸内晴美)
将しく波乱万丈の人生だ。
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