高津物語 連載第九四八回 「大山街道ガイド」
久し振りに「大山街道巡り」のガイド役を熟(こな)した。 病気と回復期を入れて約三年間、私には実に待ち遠しい時間だった、と思う。わたしの大山街道巡りは一定していない。それが特徴となっている。
今回は『大山街道ふるさと館』裏の大屋家を見た。
他の家と一番違うのは、土盛り―それも三〇cm近く、土が盛られていた。流石だと思った。
文政四年の「溝口水騒動」
では、名主の鈴木七右衛門家の序に、打ちこわしに遭ったとされる旧家である。
大水に対しての万全の備えをして居られたのだ。
土盛りされたことを、大屋さんからお聞きするまで、愚かにも私は、承知していなかった。今回初めて自分の目で確認してきた。
現在、大屋家の後方を通る道は、高津土木事務所の旧二ヶ領用水地図にある流れを埋め立てた道だった。
私が小学校六年生の頃は、前は全部田圃で、遠く津田山の下に「十字屋」の本多君の実家が一軒見えただけだったのを覚えている。
二ヶ領用水はそのまま進んで『西浦橋』―「にしうらはし」の文字は不詳、私の字になるものである―を渡り、池田屋クリーニング店駐車場に出るが、ここに素晴らしい蔵があり、何時も感心している。
下手な字で、もう少し何とかならなかったのかと思うが、仕方がない。事実だから、ここに自白しておく。
久し振りに「大山街道」を歩いてみて、ちょっと見には、つまらない町でも、裏話を入れていくと、話は幾つもあり種が尽きない。
今回歩いてみて、改めて気が付いたのが「蔵」だ。
岩崎酒店の酒蔵は、大通りに面していたのを、裏まで引いただけあって、見応えがあった。家倉も以前は随分あったが、今は毛木家、平間屋、丸屋酒店、飯島金物店、稲毛屋金物店と少なくなった。
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