高津物語 連載第九六七回 「二子大貫家蔵」
写真は大山街道二子にあった「大貫家の蔵」で、作家・岡本かの子と芸術家・岡本太郎の生家にあたる大貫家の敷地内にある土蔵で、建築されたのは明治初年で築約百三十年である。
蔵にはかの子の書いたものなど、大貫家ゆかりの品等が多数収められていた。
生家に当たる母屋は、約三十年前に取り壊された。
大貫病院については、平成十二年に取り壊されているため、最後に残ったのが、この蔵だけとなった。
岡本かの子の研究をしていて、思うのは今も尚、岡本かの子の人気は、衰えるどころか、ますます盛んである。
例えば手元の新聞――二〇一四(平成二十六年)一月十九日の朝刊、二十面に掲載された共通一次試験問題「国語」第二問は、岡本かの子の小説「快走」の全文から出題されている。
小説の冒頭、主人公道子が兄陸郎の着物を縫いかけていると「それおやじのかい」と聞くと「兄さんのよ、これから兄さんも会社以外はなるべく和服で済ますのよ」道子は顔も上げないで、忙しそうに縫い進みながら言った。「国策の線に添ってというのだね」・・・とあり「国策―国家の政策、この小説が発表された昭和十三年(一九三八)年前後の日本では、国家総動員法が制定される等、国民生活に様々な統制が加えられた」の注釈文がある。
この小説は死んだ兄(立命館大学教授鈴木良)が夏休み帰省した折に読み、面白いと言った小説だった。
二子の大貫家と多摩川土手が舞台のこの小説、多摩川土手を「快走」し、二子の風呂屋で汗を流す小説である。
平成十二年十二月十五日地元から大貫家蔵の保存要請の陳情が出た。川崎市はもともとの所有者を訪問し保存の意向調査を行い、所有者から「自分達の負担による保存は望まない」との回答を得て、一週間後の十二月二十六日、蔵の取り壊しを行った。
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