郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第3話 その4 青山 昭久さん
◆戦争の思い出
空襲は毎日のようにありましたよ。でも焼夷弾を落とされることはなかった。やられたのは機銃(機関銃の略称)です。近くに日本光学があったのでこれを目標にされ機銃で攻撃されていました。
あと、津田山に高射砲(地上から航空機を攻撃するために作られた火砲)の陣地があったからね、それでB29が来なかった。
高射砲はものすごく精度がよくって何機か撃ち落としたって、そう聞いていますよ。もちろん、家の近くに防空壕は作っていましたよ。でも使ったことはなかったです。
東京がやられたときはこの近くからでも赤く燃えているのが見えていました。当時は、津田山を登ると新宿が見えたんだよね。明治製菓が焼けた時には、焼け焦げた砂糖を随分食べました。当時、砂糖なんて貴重なものでしたからねえ。色が赤っぽくなっているだけで味はちゃんと甘かった。
戦後になると、GI(アメリカ兵の俗称)さんが砂利を運びに来て、おかげで片言の英語も覚えたし、チューインガムだのタバコを貰ったり。貰ったタバコを持って帰ると父が喜んでねえ(笑)。その頃はタバコが中々手に入らない時代だったからね。「パパに持っていけ」ってケースでドーンとくれたんです。私はある意味では恵まれていたんですね。父も母も一緒にいることができたし、砂利山しかないこの辺りは空襲に狙われることもなくて安全でした。
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