久末にある妙法寺で7月24日、義民地蔵の供養が地域住民により行われた。300回以上続く久末の伝統行事。元禄時代、重い年貢で苦しむ村を救おうと、領主へ直訴し、命を落とした19人の村人が祭られている。
妙法寺には「義民地蔵」と呼ばれるお地蔵様が安置されている。建立されたのは、1746(延享3)年。現在の中原街道沿い(久末バス停付近)に安置されていたが1983(昭和58)年、妙法寺に移転された。
毎年7月24日、久末地域の住民65人からなる「久末義民地蔵尊講中」と蓮花寺、妙法寺の住職が法要供養を行っている。今年は、感染予防対策として、世話人のみ参加。世話人代表を務める森武男さん(85)は「19人のご先祖様の犠牲があり、今の久末がある。この地域にとって、シンボル的な存在」と話す。
由来は、元禄時代に遡る。久末村は領主、佐橋内蔵之助佳純から年貢を一挙に100石引き上げられ、苦しめられていた。1693(元禄6年)、村人は領主へ直訴するため江戸四谷大番町の佐橋家屋敷へ。直訴に向かった村人20人中、19人は帰らぬ人に。その犠牲と引き換えに、重税は解かれたという。
「忘れない」300年継がれる意思村守る覚悟に思い馳せ
「久末義民地蔵尊由来記」(昭和8年4月1日橘村青年團久末支部編輯之)によると、始めは3人の村人が直訴に向かうが消息不明に。何度か村人が江戸に向かうが連絡が途絶えたことが続いたという。
世話人代表を務める森武男さん(85)は、犠牲になった村人の子孫のひとり。「消息不明になり、また送り出す。村のために、と送り出す家族の覚悟はいかばかりだったか」と思いを馳せる。
また、義民地蔵が建立されたのは、直訴した年から約50年後。「これは推測」とした上で、「すぐに供養できない事情があったと思うが、何としても忘れないという強い意志を感じる」と話す。
領主の供養塔も
義民地蔵が祭られる妙法寺には、領主であった佐橋家の供養塔もある。線香やお供え物がされる義民地蔵とは対照的に、ひっそりと佇んでいる。
同寺の池田正賢住職によると、佐橋家の供養塔は、もともと丸山緑地付近にあったが、県営団地造成に伴い昭和40年ごろ、妙法寺に移転されたという。
同寺の建立は1674(延宝2)年。村役人を務めていた森四郎左ヱ門が、領主、佐橋家と自身の先祖の追善と子孫末代までの繁栄を祈り寺院が建立した。代は異なるが、森四郎左ヱ門は直訴に向かい、唯一村に帰ってきた人物とされる。
池田住職は「先代の森四郎左ヱ門はご恩に報いるためにこの寺を建立した。その子孫を討ちきれなかったのかもしれません」と推し測る。
久末義民地蔵尊講中は今年で328回目を迎えた。池田住職は「今日の平穏な暮らしは、命を懸けたご先祖様のおかげと、地域で改めて感謝される日になっています」という。
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