2022年大河ドラマの主人公となることが決まった北条義時(1163〜1224)。その危機を、自らが建立した薬師堂にまつられていた十二神将像のうちの一体が救った、という逸話が今に伝わる。
覚園寺と大倉薬師堂
二階堂の覚園寺は、薬師如来を信仰していた義時が1218年に建立した大倉薬師堂を前身としている。
その後、9代執権・北条貞時が再び元寇が起こらないよう祈願するために同寺を開いた。
現住職の仲田順昌さんは「我々にとって義時公は非常に大切な存在。ただ権力を手にする過程では様々な出来事があったので、まさか大河ドラマの主人公になるとはと驚いた。この機会に、義時公と覚園寺の歴史についてもぜひ知ってもらえたら」と話す。
創建当時の大倉薬師堂には仏師・運慶が造立した十二神将像が安置されていたと伝わっており、そのうちの一体、戌神像(じゅっしんぞう)にはこんな逸話がある。
1219年2月、鎌倉幕府3代将軍・源実朝が右大臣に任命され、その拝賀式が鶴岡八幡宮で行われた際のこと。実朝に従って行列に加わっていた義時は、楼門のそばにいた白い犬を見ると急に気分が悪くなり、役目を源仲章にゆずって屋敷に戻った。すると実朝は甥の公暁に暗殺され、義時の代役を務めた仲章も殺害されてしまう。
実は白い犬は十二神将像の戌神像が姿を変えたもので、義時に危険を知らせるために現れた、というものだ。
国宝館に模刻像
運慶が製作した十二神将像は長い歴史の中で失われてしまったが、その「レプリカ」とされる像が鎌倉国宝館にある。
同館に展示されている十二神将像は、長く大町の辻薬師堂に安置されていたもので、1993年に鎌倉市へと移管された。
調査により戌神像(13世紀後半の作)を含む8躯は鎌倉時代、4躯は江戸時代の作であることが分かった。これらの像は「覚園寺の十二神将像の形像と同系統」であることが指摘されており、特に戌神像は鎌倉と周辺の他の寺の像にも頭髪や面部などに共通した表現がみられるという。
つまり義時の命を救った逸話が広く知られた結果、その霊験にあやかろうと、運慶が造った覚園寺(大倉薬師堂)の像を模したものが多く造られたのではないか、と言われているのだ。
「義時が祈りを捧げたのはこんな像だったのかも」。そんな思いに浸りながら、来館してみるのもいいかもしれない。
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