ロータリークラブ(RC)は、「さまざまな分野の職業人が集まって知恵を寄せ合い、生涯にわたる友情を培うことのできる場をつくること」を夢として1905年に米国・シカゴで発足し、日本では20年に東京で初めて設立された。RCの長い歴史と大きな組織の中で活動する「鎌倉大船ロータリークラブ」は、どのようなクラブかを紹介する。
創立50周年を迎えるまで
鎌倉大船RCは、鎌倉RC、逗子RCに次いでこの地域では3番目のクラブとして、東京オリンピックが開催された64(昭和39)年に会員29人で誕生した。初代会長は、資生堂の小山常正取締役大船工場長、幹事は松本尚京浜女子大学(現・鎌倉女子大学)学長。設立準備委員会は横浜銀行大船支店、発会式は資生堂の広報室、国際ロータリー加盟認証状伝達式は、横浜ドリームランドで行われた。
大船に松竹撮影所があった縁で、初年度第9回の例会には、入社4年目の岩下志麻さんと倍賞千恵子さんがあいさつに来た記録が残っている。翌年の第35回と第36回は東京南ロータリークラブの会員だった俳優の池部良さんが、また、木下恵介監督や山田洋次監督が卓話に訪れたこともあった。政治家では鳩山威一郎氏や小泉純一郎氏が、教育者では67年に栄光学園のグスタフ・フォス校長から話を聞くこともあったという。
「賑やかな昭和の時代は終わり、会員は89年の61人を頂点に減少。なかでも2009年〜10年に会員数24人と急減したことは衝撃だった」と石井昭二郎会長。創立50周年を迎えた14年には16人まで減ったが、これが同RCを変える大きな転機になったという。
転機となった50周年記念事業
7年前の14年4月に実施された同RCの50周年記念事業。11年の未曾有の大震災からわずか1年半の時点で計画を始めたため、「被災者の支援」をテーマとした。「事業の実施は震災から3年後。必要とされる支援は被災当初と変わることを想定し、事業内容や講演者などを会員皆で十分に吟味した」と振り返る。
寄付先は、現地で被災した子どもたちのニーズをくみ取りながら、その子らの将来を見据えた支援などに取り組む東日本大震災復興支援財団に決定。さらに、ジャーナリストの門田隆将氏に「福島原子力発電所の被災時の真実」についての復興支援講演を依頼した。
50周年記念事業のテーマに「東日本復興支援」を選んだことで、防災や寄付をはじめ、講演会運営やメディアへの協力要請、地域への声のかけ方など、さまざまなことが学べたという。石井会長は「特に大切と感じたのは『人の繋がり』。被災地と私たち鎌倉大船の地域とクラブ、そして会員同士が接点を持つことで、1人ではできないことができるんだと実感した。この時を境に、会員1人一ひとりが鎌倉大船RCを自分のクラブとして考え、動き始めたように感じている」と笑顔で語った。
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