鎌倉と源氏物語 〈第10回〉 極楽寺開山忍性と北条実時
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
金沢文庫で「忍性菩薩 関東興律七五〇年」展が開かれています。
これは極楽寺の開山として知られる忍性の生誕800年を記念したものです。生誕地である奈良県の国立博物館では夏に特別展「忍性 救済に捧げた生涯」が開催されるなど、新たに評価の機運が高まっています。
忍性は16歳で出家し、24歳の時に真言律宗の総本山西大寺に入りました。ここには名僧叡尊がおり、この叡尊の下で忍性の生涯が培われていきます。
忍性が関東に下向したのは36歳になった1252年のこと。律を広めるためでした。鎌倉に着いても留まらず鹿島神宮まで行って参籠し、常陸三村寺(現・茨城県つくば市小田)に10年住んでから、鎌倉に腰を落ち着けました。
忍性は金沢文庫の創設者であり称名寺の開基である北条実時と深い親交がありました。金沢文庫の近くにある龍華寺の『金沢龍源寺略縁起』に「正嘉年中に、南都の忍性律師当山(注・浄願寺)に住して戒律を弘め」とあります。
浄願寺は龍華寺の前身寺院のひとつです。源頼朝が伊豆の三島大明神を金沢の瀬戸に勧請した時に(現・瀬戸神社)、別当寺として六浦の山中に建立されました。現在、金沢八景駅近くの高台にあった上行寺東遺跡がそれだと比定されています。この浄願寺時代にすでに実時は忍性と交流していたのかもしれません。
織田百合子
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