玄海男生誕100年〈第1回〉 「ジェントルマン・ゲン」との出会い
戦前に海を渡り、その実力と華麗なファイトスタイルでハリウッドスターからも人気を得た伝説のボクサーがかつて鎌倉にいました。11月で生誕100年。その足跡を辿ります。
「玄海男(げんうみお)」と聞いてピンとくる人は今どれほどいるだろうか。昔から鎌倉に住んでいる方は、今ほど賑やかでない小町通りや若宮大路で、どでかいグレートデンを連れて歩いていた姿を覚えているかもしれない。
玄さんはボクサーだった。それも「黄禍論」渦巻く戦前のアメリカで活躍し、多くのボクシングファンの心をつかんだ稀有なボクサーだった。
玄さんとの出会いは1949年、私がまだ中学生の頃に遡る。両親と鎌倉山の桜を見に行った帰り、ふと立ち寄った大仏の境内に人だかりができていた。周囲を取り囲む背の高いGI越しにぴょんぴょん飛び上がって見えたのは、駐留米軍が企画した玄さんとピストン堀口のエキシビションマッチだった。大昔のことなので試合内容は覚えていない。しかし2人の俊敏な動き、そして何より会場の熱狂した雰囲気は今でも鮮明に思い出すことができる。
玄さんは当時、3階級同時制覇を成し遂げたヘンリー・アームストロングとの対戦相手にも名前が挙がり、アメリカでは「ジェントルマン・ゲン」の名で知らない人はいなかった。あの試合は、そんな玄さんが米軍将校にでも頼まれて実現したのだろう。
時を経て私は38歳の時、扇ガ谷にあった玄さんのジムに偶然通うようになり、15年にわたって指導を受け、時には飲み歩くようになったのだった。 田川永吉
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