シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いで主催者代表あいさつを行った 新関 省二さん 奈良町在住 94歳
抑留経て「楽しく生きる」
○…8月23日の千鳥ケ淵戦没者墓苑。今年もシベリア抑留者支援・記録センター主催の追悼の集いで抑留経験者を代表してあいさつした。すでに平均年齢は97歳。式典も「このままでは自然消滅してしまう。抑留も知らない人ばかりになった」と語り、国による主催の式典を望む。「戦争の歴史を美化しないで正確に伝えてほしい」
○…東京出身、6歳で札幌へ。音楽好きで中学時代、買ってもらったアコーディオンを独学で練習した。しかし次第に時代は戦争一色に。「黙ってても行かされるなら」と18歳で特攻隊を志願し入隊。「若者に操縦を覚えさせて死ねと、そういう教育だった」。実際は航空機も燃料もなく満州で終戦を迎えたが、貨車でシベリアに移送され収容。極寒のなか多くの人が亡くなった。やがて拠り所となっていったのが音楽だった。炭鉱労働に従事しながらも「日本の流行歌を演奏して」。4年の抑留を乗り越えた。
○…1949年、念願の帰国を果たすが、待っていたのは日本での差別。「シベリア帰りは『アカ』だ」と避けられ就職先もなかった。帰国の希望を持ち続けてきたからこそ日本からの仕打ちが「1番辛かった」。同時に「死ぬ思いで過ごしてきた。一人でも楽しく生きてやろうと」。素性の知れた札幌を飛び出し、東京で就職。結婚し子どもも生まれた。
○…大正から4つの時代を歩み、孫とのお酒を楽しむ現在。次の目標はひ孫と一緒にお酒を飲むこと。カラオケやゲートボールなど人との交流や料理も楽しむ。夫婦2人で健康に気づかい「一緒にいられるからいいね」と笑顔。「戦争は悲劇ばかり。戦争しない、参加しない。武器を作る軍事産業じゃなく平和産業でいかないと。楽しく平和に過ごしましょう」
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