国道1号線から岩井町の横浜清風高校へと延びる「いわな坂」を上りきった交差点にある「北向地蔵尊」の祠(ほこら)が建て替えられ11月14日に式典が行われた。
地蔵尊が位置する通りは「かなざわかまくら道」と呼ばれる東海道の脇道で、地域に伝わる話では江戸時代に、この付近で道に迷い途方に暮れている旅の僧を近くに寺の住職が現れ寺に泊めた。
住職は夢の中で「道に迷って困っている僧がいるので救いに行くように」と地蔵に告げられたことを話し、それを知った旅の僧は地蔵に対する感謝と旅の安全を願う気持ちから、自分の持ち物を寄進して、江戸がある北を向いた地蔵を建立したとされている。
その後、地域の人々の手で脈々と守られてきた「お地蔵さん」は修繕の時などに地蔵の向きを変えても、いつの間にか北向きに戻っており、いつしか人々はこの地蔵を「北向地蔵」と呼ぶようになったと言い伝えられている。
江戸時代から明治、大正、昭和、平成と長きに渡り地域の人々が守ってきた「お地蔵さん」は現在、岩井町原第1町内会の内部組織「護持会」を中心に管理し、毎月4日、14日、24日に花を手向けている。
宮大工が手掛け、品格漂う
「護持会」では今年が建立された1717(享保2)年から300年の節目となることから、古くなった祠の建て替えを数年前から検討。費用はこれまで数十年に渡り積み立ててきた賽銭を活用した。
建築は地域内で寺社仏閣を専門に手掛ける(有)社寺建築工務所に依頼。完成したお堂はヒノキとケヤキを使った流れ造りと呼ばれる様式で品格漂うものとなった。
この日の式典では横浜清風高校の職員で高野山真言宗西光寺(南区)の曽根宥泉住職が経を読み上げた後、50人ほどの地域住民らがお色直しした「お地蔵様」に手を合わせた。
実行委員会の佐竹嘉紀委員長は「思いの詰まったお賽銭を使わせていただき、こういった取り組みができた。しっかりと次の世代に引き継いでいくことが我々の使命だと思う」と話す。
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