高津物語 連載第八四五回 「タナカヤ呉服店」
関東大震災でびくともしなかった明治四四年(一九一一)建築になる大山街道溝口宿屈指の店舗兼住宅の「百年名家」が、人知れず今も大山街道に建つ。
大山街道の歴史保存と川崎市の指定文化財に指定し、税制上の優遇処置を講じて欲しいと思う。
田中屋呉服店は、大山街道下宿に面し、間口六間一二・六メートル、奥行五・四メートル、かって東側に土蔵(駐車場入り口用に取り壊し)をもった二階建の蔵造りの店である。
店に入ると九十糎間隔で立つ太いけやきや柱、はりの多さに驚かされるが、釘は一本も使わず、全てのみを入れて組み込んである。大山街道溝口代表的建築物で、私のまち歩き探検では何時もお邪魔する店だ。
「田中」本家―「呉服タナカ」と「ハカリ田中」の間高津町の金融一切を仕切っていた「高津銀行」(頭取・鈴木生成)があった(岡本かの子『かの子撩乱』に詳しい)―の類焼体験に基き、重い屋根瓦と土塀、太い柱と梁を使い、二階部分を荒壁のまま放置する「出桁(だしげた)倉造(くらづくり)」と云う商店のみに特有の建築様式。
店正面はガラス引違戸で、内側に揚戸(一間幅五枚、半間一枚)で、左三枚目の揚は潜り戸で、夜間の出入りはここで行い、ガラス戸の外側には、防火用の土戸一筋が入れられ、通常は使用されていない。
「切妻造」は一般に、二階窓は観音開き・土戸だがここは出窓に立格子を嵌め込んだ雨戸仕上げの商い風で、店二階正面に、千本格子や出桁造りが当時の姿で見られ、二階霜除け屋根は、珍しい扇垂木組があり、普通の家と違って、戸袋は一つもないのが特徴だ。
茶・醤油・味噌・箪笥等の日用品を製造小売り、箪笥の製造、婚礼用の紋付、江戸褄、雨具、盥(たらい)鏡台、布団、結納品迄婚礼支度全てが、この店で間に合い、配達もしてくれた。
店より古い店の背後部分の私宅の続き、茅葺屋根をトタン覆いし、私宅と店舗間は類焼を恐れて、今日に続く、重い厚い土扉(厚さ七cm)で仕切られている。
又取り壊された土蔵は、白塗りで、家具類の陳列場に改造されていた。
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4月26日