高津物語 連載第九〇四回 「『秋草文壷』の産地」
風に戦ぐ秋草が、鋭く、且はのびやかに、流れる様に線彫りされた、高さ四十センチの大きな壷である。
堂々たる形と姿、流麗な文様、日本独特の陶芸の傑作であることは、言うに及ばない。
何よりもこの文壷が、川崎から出土した日本中世期唯一の国宝である、というのが凄い。かつ嬉しい。
中国や朝鮮半島の影響を全く感じさせない、日本独特の様式美を備えた名品である。
造りは、肩がしっかりと
張り、首がすっきりと伸びた雄健な姿である。
文壷器面一杯にすすき、柳、烏瓜、蜻蛉等々、日本の秋を特徴付ける特徴的な数々の風物が、見事なタッチで彫り込まれて、首から肩に掛けて、渋いオリーブ色の釉薬が厚く掛っている。
制作年代は十二世紀の平安時代末期とされている。
「秋草文壷」の産地については学界に各論がある。
発見当初は、その洗練された文様から、瀬戸産ではないか、といわれたという。
が雄頸―その力強い器形と、口縁部の欠けた部分から見える砂気の多いざんぐりとした土味から、次第に常滑(とこなめ)産と言われるようになり、近年まで常滑産で通って来たという。
が昭和五十年の学界で「あれは渥美産にした方が良い」発言があり、現在までの所、出版物によって渥美にしたり、常滑にしたりその産地断定は、様々だという。
愛知県、渥美半島先端の町渥美焼には、既に重文指定の「葦鷺文壷」があり、
瓦に経文が彫られた経瓦や、細密なヘラ彫のある仏像光背等が出土しているという。
今後、同じような文壷が現れるまで、この議論は当分の間、お預けらしい。
ここでは、愛知県常滑産説を採用し、議論を進める。 理由は、柳田國男が渥美半島伊良子岬で漂流した椰子の実を発見、島崎藤村が抒情歌「椰子の実」に結び付けたロマン主義に、私自身が心酔している事に外ならない。それと…明治生まれの両親を案内した「見よ東海の空明けて 旭日高く輝けば…」の「御来光遥拝小旅行」の想い出にも繋がっているからだ。
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